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おれでじ 4b | デジモンカードの大会
~回想~
オオツカ「大会があるらしい」
退会……大海……大会!?
そ、その手があったかーーーーーーッ
身内だけの狭い世界で楽しむではなく、外の世界を知りに行く、そのやり方があったのか!!! 価値観に稲妻、小学6年生の私の世界が変わった。
オオツカの母親が同伴してくれることになり、初の東京。私たち一同は大島駅ではデジカの聖地とされていた今は亡き伝説のカドショ「一心堂」へ赴いた。

大島駅の駅前、今もこんな感じ
ここでの経験は人生のバックボーンとなる、結から言うと私はデジカをプレイして、大島の一心堂へ出向いて良かった。ここで社交性を鍛え身につけたと言っても過言ではない。小学6年生が何言ってんのかわかんね~2000年前後のヘヴィー目の中高大生オタクと親の助けを借りず単騎でやり取りするのだ、コミュ力が、社交性が、鍛えられないわけがない。
大会の参加人数はキャパMAXの32で、店の外に29~32番卓を設営するほど賑わっていた。
当時の仲間内で私はデジカがとても強く、この時も自信満々「もしかしたら……初参加で優勝しちゃうんじゃない?www きゃ~~~どうしよう!!」と浮かれていた。
2時間半後、31・32番卓でオオツカと最下位争いをするまでは……。
一心堂はとんでもない店だった。当時のデジカは公式大型イベントで優勝すると「勝利の栄光を我が手に!!!」が授けられ、強さのバロメーターになるのだが、参加者の半数近くが栄光を有するプレイヤーという最強レベルのカドショだった。

いつのまにか数百万円するカードに
とは言え、初回の私はそのプレイヤー達と戦うこともなく、ただただ叩きのめされた。それどころかまともにルールも把握していなかったこと、戦えるレベルに至っていないことも思い知らされた……文字通り「完敗」
その日から私の目標は
「一心堂で入賞」
そして大型の公式大会に参加し
「いつか【勝利の栄光を我が手に!!!】を手に入れる」
になった。中学3年まで4年も続く月に1回の一心堂通いが始まった。
ちなみにこの頃から秋葉チェルモは有名で存在は知っていたが「同じ東京都はいえ流石に秋葉は危険すぎるだろ!?!?」ということで近づくことはなかった。今でも秋葉のロイホで家族と食事をしながら外を眺めるとその時の気持ちを思い出す……。
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