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おれでじ 3b | タツロウ
少年でじのげんはデジモンカードにドはまりした。
デジモンカードの話をすると多くの人が口にするのが
「見たことある」
「でもルールわからなくて」
「相手がいなかったから」
このお決まり文句3点セット。だが、私が相手に困ることはなかった。俺には年子、1つ下の弟がいた、弟との仲はすこぶるよく、何をするにも一緒だった。
ハマり具合いは違えど、中学卒業までバスケ、剣道、囲碁、将棋、他TCG(NARUTO、ガッシュ、etc)と共に楽しんだ。弟の他にも3人程小学校の仲間が遊んでくれた、おかげで相手には困らなかった。
私の小学校でデジモンが流行るきっかけは「タツロウ」という男が関係している。
私の小学校は斜に構えたひねた生徒が多かった、それを表す現象一つが、コロコロコミックよりコミックボンボンが流行していたことだろう。
実はこれは「タツロウ」の影響だった。このタツロウという男、なかなか奇天烈は男で、小学生にしてはデカい体と声とナニ。そして態度。口癖は「〇〇のパクリか?」と「勃〇」、実写版「谷垣源次郎」だ。
ゴールデンカムイでまっさきに思い出したのがタツロウだったのは言うまでもない。
6年1組ではコロコロコミックを愛読することは○○くんのパクリ。ポケモンを愛することは○○ちゃんのパクリだった。
あまりにも煩わしい、歪んだ感覚。やかましすぎるタツロウのメタは自然にクラスに浸透し、俺達はコロコロよりボンボン、ポケモンよりデジモンと趣向を書き換えられた。
小学生の俺達は「パクり」と指摘されずらい、「マイノリティなコンテンツ」を愛する人間になった。ポケモンなんかやってるやつはいなかった、みんなロボットポンコッツとサイボーグクロちゃんのGBをプレイしていた。
小学校を卒業してからタツロウ君とは一切のコンタクトがない。だが、もし万が一この記事を目にすることがあり、小学生時代の自分を思い出すことがあったら謝罪してほしい。
この頃でじのげん少年は小学校のミニバスと習い事で剣道を嗜んでいたが、50mを20秒台で走るギガデブだったため運動に気持ちが入るわけはなかった。しかし当時から胸の奥に熱いものを秘めていた俺はその何かを何かにぶつけたかった、その対象がデジモンに決定しかけていた、そんな時代、そしてオオツカ君が言った。
「大会があるらしい」
次回、初・デジタルモンスターゲーム大会。
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おれでじ 4b | デジモンカードの大会
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